「殺意がない」? そんな言葉で説明を終わらせるな。
おれは天才の言葉をかみ砕かないといけない。再現性の薄さに甘えているやつらを玉座から引きずり降ろしてぶん殴るんだ。
理論計算機科学をかじっている人間なら、AIなんて高々の中に囚われている存在であって、それがを表現する方法は無限精度の近似でしかないと当たり前に理解している。それに計算可能でない実数だって存在する。それこその濃度よりはるかにたくさんね。
けどAIが無力だと言いたいわけではなく、要するにGenerativeAIは……と出力してくれるのだから、あとは人間がをぴたりと言い当てればいい。そしてそれは一見とても簡単に見える。自明すぎてやり方すらわからない。
だから、その行間を埋める試みくらいはあっていい。
ちゃんとGPT4やStableDiffusionと向き合っている人間なら、おそらくAIの「癖」を一言であらわす語彙を持っているだろう。イラストを描く人間は「平均的」「のっぺりしている」「意図がない」というのが多いが、おれは「帰納的」「非線形」という言葉で語るのが好きだ。一方で人間の描いたイラストは「演繹的」で「線形」に見える。
喩えは非本質で、おそらくその概念に辿り着いているやつらはみんな同じことを思っている。AIには殺意がない。『裏世界ピクニック』の宮澤伊織はこんなことを言っている。
今の世の中、創作は誰でもできる。(中略)そんな中、特に商業で小説を書こうという人間が、頭一つ抜けるような、力のある作品を書くために必要なのは、情熱、執念、愛、狂気といった言葉で表現される、誰にも真似できない何かだ。私はそれを殺意と呼ぶ
(第14回創元SF短編賞選考経過および選評 http://www.webmysteries.jp/archives/32418024.html より。2023/8/16)
さて、殺意ってなんだ? こんな曖昧な言葉で済ませていいのは天才だけだ。
TuringMachineとGenerativeAIの最大の違いはその根本的なモデルだ。
TuringMachineが有限決定的(Finite Deterministic)な演繹であるのに対してGenerativeAIは統計による帰納だ。だから簡単な数学の問題を間違えうる。GPT4は2+3を間違えないが、定数時間で実行できない。AIはもはやラーメンを手で掴まないが、それは近似精度が良くなっただけに過ぎない。もしおまえが「AIはラーメンを/指を/複数人の絡みを克服した」と思っているのなら、おそらくお前は何も理解していない。少なくとも今のモデルのままじゃ、AIはどれだけ進化してもラーメンを克服できない。
SawToothでググって出てくる波形をフーリエ変換すると、無限個のSinWaveからできていることがわかる。100Hz, 200Hz, 300Hz……というSinWaveを集めてそれらのAmplitudeを少しずつ下げていって重ね合わせると100HzのSawToothになる。でも有限時間でいくらSinWaveを集めても、完璧なSawToothにはならない。
人間がSawToothを描くなら直線を描くだろう。その瞬間、誰もがAIに勝利している。
本当にそれだけのことだ。逆にそれ以外でおれは勝てる気がしない。
そこで直線の複雑性を爆発させればいい。おれたちが定数時間で行えるがAIが近似でしか行えない操作を埋め込めばいい。それが「演繹」「線形な操作」だと、おれは考える。
何度も引用するが、『非線形空間のほうがエロいだろ』で書いた"Linearity"だ。AIはLinearityをNon-Linearな帰納による近似でしか表せない。手癖で書かれたビジネスライクな読書感想文よりも、中学二年生が頭をひねって考えた"ものがたり"の方がLinearだ。AIはNon-Linearityによって圧倒的にクオリティを上昇させるが、そこにはLinearityが欠損している。
ここまで考えれば宮沢伊織が講評に書いた「殺意」の正体が見えてくる。殺意とはまっすぐで純然たる意図であって、線形な、そこに物語や絵の全体を従属させるだけのカリスマを持った、細胞だ。
細胞とはつきつめれば「内と外を区別する存在そのもの」と特徴づけられる。その"内"が細胞であり、創作の主体となってそれ以外を奴隷にする。
GenerativeAIの作品は文字通りの"単細胞"でしかありえない。
だが殺意のこもった創作は違う。作品のどこか、あるいは画の外部に一つの原始細胞がある。確かに外部と隔絶されたそいつは、その作品を構成するすべての細胞の親であり、統治者だ。
この構造こそがLinearityだ。ただ細胞のおこなった演繹に従って空間のなかに浮遊している構造素子たち。そこからNon-Linearな飾り付けをすることで作品になる。
Linearityは人間が人間である限り絶対に発露してしまうものだが、それを意識的に使えというのが宮澤伊織のメッセージなんじゃないかとおれは思う。
それはまさしくおれがAIと相対する人間に対して思うことと同じだ。